2016年4月22日金曜日

【エッセイ】 角川「俳句」5月号人物大特集<飯田蛇笏>に寄せて ―虚子は戦後の蛇笏をどう読んだのか―  筑紫磐井

【はじめに】

角川「俳句」の5月号は<飯田蛇笏>特集となっている。蛇笏賞創設50年特集の一環として企画されたもので、今回の特集でも様々に蛇笏は論じられることと思うが、私もここに一つの資料を提供したい。それは、虚子が蛇笏の戦後作品をどう読んでいたかを明らかにする生の資料である。このような時期に多少はタイムリーな資料ではないかと思うのである。

背景を言えば、実は、私は本井英主宰の「夏潮」の別冊「虚子研究」に参加するうち、虚子が戦後ホトトギスの若手と座談した「研究座談会」(昭和29年~34年)の中でホトトギス系以外の多くの作家を論評していることに気付いた。無責任な放談のようにも見えなくはないが、それでも部分部分に虚子の考え方は結構はっきり表れているし、特に1句1句を論評する過程では虚子の俳句観が現れない筈はない。これを、「虚子による戦後俳句史」として連載し、4S、人間探究派、新興俳句、社会性俳句作家(残念ながら戦後俳句の一つのピークの「前衛俳句」は虚子の没後誕生したものである)の作品評を眺めてきた。ここでは、そこから漏れている(虚子は大正俳句作家を余り相手にしていない)蛇笏を虚子はどう読んだかを読み解いてみようと思ったのである。

言っておくが、虚子はホトトギス以外の作家の作品の論評をしたことはほとんどない。したとすれば、それはホトトギスから離脱した作家がホトトギスに在籍していたときのものであり、ホトトギスから去っていってからの作品の論評はない。それは、そうした時間がないということもあろうが、主義主張の異なる者の作品を論評しても、余り生産的な意味がないと考えていたようである(事実この座談会でもそういう言い訳をしばしばしている)。しかし、ホトトギスの若手に引きずられて、この座談会に出て雑談をしているうちに(最初は明治の俳壇や花鳥諷詠の話などであった)、手はじめに、楸邨、波郷の作品を読む会が始まることとなり、余儀なく、ホトトギス以外の作家の多くの作品を読む会が始まったのである。

こうした意味で、虚子によるホトトギス以外の作家の論評は、生涯にわたって極めて珍しいものと言わねばならない。虚子による現代俳句論評である。特に今回の座談会からいくばくもなく、虚子はなくなっている。その意味では最晩年の虚子の考え方もよく現れている。虚子の門葉はよろしくこれを読んでから、俳壇の批評をすべきであると私は思う。ホトトギス以外の俳句を拒絶してはならないのである。それは虚子の道に背くことになる。また、意外に、そこに「われらの俳句」を見つけ得ることもあるのである。

ただし、この資料自身には問題がある。①蛇笏が一世を風靡した大正・昭和戦前期の作品ではなく、戦後作品を対象としていること、②「研究座談会(第60回)」の席上での片言隻句であること(星野立子、清崎敏郎、深見けん二など座談会の他のメンバーの発言は省略するか、虚子の発言の理解のために不可欠なものだけ要旨を示してみることとしたからである)、③選んだ句は虚子が選んだのではなく弟子たち(清崎敏郎が中心であったらしい)が選んだ句であること、等があげられる。しかしそれをそれとして読めば、虚子の蛇笏批判がどこにあるのかは分かる筈だ。それこそ虚子の生まの口吻が感じられる。

 さて、まず蛇笏俳句に対する肯定的評価、次に否定的評価を眺めてみよう。参加者は、高浜虚子、清崎敏郎、深見けん二、藤松遊子である。「玉藻」昭和33年4月号に掲載、虚子がなくなる1年前である。


【肯定的評価】


遠ければ鶯遠きだけ澄む深山 蛇笏
○かういふ感じはある。遠方で鳴いてゐる鶯の声は澄んで聞える。これは作者が実際感じたことであらう。

○(敏郎:句としてどうですか)さうですね。『遠ければ遠きだけ』は理窟だが感じもある。平明な句ではないが、感じはいゝ。

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり
○まづいゝ。
をりとりてはらりとおもきすすきかな

○これはいゝ。心持が素直に出てゐる。

年古く棲む冬山の巌も知己
○この句はいゝではありませんか。よく分る。


【否定的評価】


時のかなた昇天すもの日のはじめ 蛇笏 
雪山をめぐらす国土日のはじめ 
あらがねの地を力とす日のはじめ

○(けん二:非常に抽象的で却って力が弱くなるように感じる)敍法が不賛成だ。
○昔から蛇笏一流の雄勁ならんとする句はあつた。でも分らぬ句ではなかつた。
○作者は信ずる処があるのであらうが、我々には分らない。

ことごとく虫絶ゆ山野霑へり
○(けん二:「霑へり」というのは普通用いる感じですか)キンテン(均霑)といふ言葉はあるでせう。
○私等が句を作る場合は斯うは云はない。なるべく平明な文字を使ふ。かういふ風には云はない。
○山野に虫の音が絶えてしまつたと平たくいふ方が、適切に感じますがね。
○平つたく叙すると平凡だと云ふ人もあるでせうが、我々はさうは思はない。
○言葉を正しく整へるべきだ。
○『虫絶ゆ山野』より『虫の音絶えし』と云つた方がいゝではないですか。

 ことごとく虫の音絶えし山野かな
で、作者の云ひ表はさうといふ処は分ると思ひますね。


残暑なほ胡桃鬱たる杢の家
○もう少し穏やかに云へないものか。けれども作者の表はさんとしてゐる処はわかるが。

雪解けぬ跫音どこへ出向くにも
○『何処へでも』といふのは……。
○敍法が一寸不明瞭だ。雪解を歩いてゆく音だとも取れるが。

田を截つて大地真冬の鮮らしき
○これは畦を切つたのではないですか。
○(遊子:「田を截る」がよく分からない)まあその方面のことに我等無知識で分りません。

白昼の畝間くらみて穂だつ麦
○『穂だつ』は。
○(けん二:「白昼の畝間」がリアリスティックに来ない)かういふことは、我々より作者の方が知つてゐる。言葉は平明ではない。
○(けん二:単純化が足りないのか)さうも云へます。俳句を難しく考へ、難しく敍すると云ふことは私等と違つてゐるのかもしれん。


世の不安冬ふむ音のマンホール
○『ふむ音のマンホール』は面白い。『冬』は季語として止むを得ず持つて来たのでせうがまづい。もつと適当な季語を詮議すべきだ。『世の不安』の世はいらないでせう。
○(けん二:もっと単純化した方がよいわけだ)さうですね。穏かにする方法がありさうなものですね。
○本筋からそれたやうな句が多いと思ひます。悪くいふと気取つてゐますね。

【おわりに】

今回の批評対象は蛇笏の第8句集『家郷の霧』から選ばれた句だという。従って、途中で出てくる、世評の高い「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」「をりとりてはらりとおもきすすきかな」は回想の中で取り上げられた戦前の句であり評価は余り詳細に行われていない。これらの句は異存がないようだが、戦後の句については、総じて、蛇笏は詰屈な感じが強く、決して高い評価とはいえない。同時期の、秋桜子やその一門、草城、あるいは不思議なことに蛇笏の子である龍太などに対する評価に比較すると劣るようである。ここに掲げた作家の作品を、しばしば「我らの俳句に近い」と呼んでいるのに対し、蛇笏の句は遠いのである。なおこの句集中の傑作といわれている「炎天を槍のごとくに涼気すぐ」については何ら触れていない。強いて評価するに当たらなかったものか(この回の選句は藤川遊子が当たっているようである)。

いずれにしろ、虚子が単に花鳥諷詠や、有季定型にこだわっていたものではなく、自由で平明な表現にその進むべき道を考えていたためであると考えられる。蛇笏と対比してみると、少しく我々が考える虚子像とは違うものが浮かび上がってくるようである。

なお興味があれば、9月頃刊行する「虚子研究Ⅵ」をご覧頂きたい。