2015年7月10日金曜日
【エッセイ】 鈴木商店 / 筑紫磐井
我が家の近くに有限会社鈴木商店がある。おそらく知る人はほとんどないが、知る人ぞ知る、画期的な企業である。この地(練馬区下石神井)は殆どろくな企業立地が行われていないにもかかわらず、鈴木商店は世界的な企業である(大正年間から創業しているらしい)。世界一のちくわぶ【注】の生産拠点だからである。
ちくわぶを古くから扱う店としては赤羽にある川口屋も老舗らしいが、ここでは1本140円と通常の市場価格である(佃権、紀文もそんなもの)。鈴木商店のそれはビニール袋に5本入り100円である。おまけにこの商店の品質はすべて絶品といってよい(我が家はあまりちくわぶは食べないが、刺身蒟蒻など舌触りは絶品で、この店のを食べるとほかの店のは食べられなくなるとは家族の評)。ちくわぶはあまりに廉価であるため、人件費をかけないよう真空パックをプラスチック箱に野積みし、購入者が100円玉を入れる仕組みとなっている。このあたりの農家が野菜を売る仕組みとよく似ている。町工場に販売所が付随し、近傍のおばさん達が生産から流通まで一貫して関与している。
画期的なのは、こうした低廉な価格が新しい需要を作り出していることだ。普通のおでんだねとしてはせいぜい1~2本しか使わないが、一度に5本を購入しなければならないためにちくわぶを使った超メニューが登場する。商店のおすすめでは、安倍川、汁粉、シーチキンの煮物、ピザなど野心的なメニューも並ぶ。ブロガーによればすき焼きに向いているのだそうだ。確かにした地と油のしみ込んだちくわぶはうまそうである。磯辺焼きもある。革命的な価格の安さは、新しいニーズを作り出すということか。
こんなことを考えてみると、俳句と非常によく似ているなという気がした。短歌は、竹輪である。俳句は、ちくわぶなのである。そのぬめぬめ無定形であらゆる可能性を許容するところは瓜二つである。
【注】ちくわぶは、強力粉を水で練って固めたもので、関東ではおでんだねとして使われる。しいて言えば、東京、埼玉、神奈川、千葉でしか生産されず、おでんの本場の関西では一切使われないという。だからこのブログを読んでいる人の半数は知らない筈である(編集長も知らないだろう)。したがって、関東圏で最大の生産量を誇るという鈴木商店は、日本最大の、ひいては世界のちくわぶ生産の頂点をなしているわけである。総体に和食が変質している中で、ちくわぶ自体の消費量は減少はしているらしいが、この価格を維持する限り、当面その牙城は揺るぎそうもない。我々はいつの日か、フレンチの中で鈴木商店のちくわぶが呱々の声を挙げることを期待している。
ちなみに、落語の時ソバでは人のいい蕎麦屋をだます悪い奴が、そばを褒めるのに、「他のところでは<ちくわぶ>を使っているのに、ここのそばはちゃんと<ちくわ>を使っている」と言わせているが、それくらいちくわぶは江戸では一般的だったのだ。ただその割には由来が不明であり、字とは違って、決して魚のすり身を使う竹輪の兄弟ではないようである、むしろうどんと遠縁にあたるようだ。
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