2016年5月6日金曜日

【エッセイ】 卒業・仰げば尊し  / 筑紫磐井


卒業

BLOG「俳句新空間」では現在「卒業帖」が進行中である。甲南大学の川嶋ぱんだ氏や彼の友人たちが卒業を控えているということで、卒業記念帖をまとめてみようと提案したものである。せっかくなら、今年卒業しない人たちにも募集してみようと言うことで声を掛けさせて頂いた。これから卒業する人達はあまりいないだろうから、すでに遠く昔卒業してしまった人たちの出稿が期待される。
概して俳句を始めるのは、昔は学生時代が多かったようであるが、最近は社会人になってから始めることが多い。ということは、圧倒的多数の俳人がリアルタイムの卒業俳句を作ったことがないことになる(昔は、強制的に卒業文集が作らされ、一人必ず1編は書かなければいけないという制約の下に、圧倒的多数の卒業生が簡単な俳句を選んでいた。筆者もその一人であるが、およそそれが現在の俳句につながる志に役立ったという気持ちはない)。

昔の卒業を思い出しながら俳句を書くということは、一種の「卒業想望」俳句と言うことになるわけで、戦前の三橋敏雄や西東三鬼らの「戦火想望」俳句以来の「想望」俳句と言うことになるわけである。新しい俳句ができるかもしれないと大いに期待している。

     *

さて卒業帖の準備で竹岡一郎氏と話をしているとこんなことを聞かれた(氏の話は、公になっている部分だけを見ても恐ろしく刺激的であるが、公になっていない部分はもっと危険である)。自分に、卒業帖の用意があるが、卒業帖はやはりめでたいもの、エールを送るような内容でなければいけないか、できているのは卒業式というものが如何に陰惨であるかを詠った句ばかりで、自分は学校というものをそういう風にしかとらえられないのでとてもめでたい句は詠めない(校内暴力 の時代で、教師へのお礼参りや暴走族の暴走に代表される卒業式だった)。今の人たちから見ればむごたらしく暴力的なというだけだが、そういう句を出すのはふさわしくないという事であれば、卒業帖は遠慮する、というものだった。

歳旦帖も春興帖も題詠句集であるので、卒業句帖も卒業さえ読んでおけば支障はないと考えた。卒業したからと言ってもおめでたいわけでもないからである。虚子にもこんな句がある。


酒井野梅其児の手にかゝりて横死するを悼む 
弥陀の手に親子諸共(もろとも)返り花    ( 大正13年)

身内の殺人は明治にも大正にもざらにあるのであり、ことさらめずらしいことではない。こうしたものを詠むのが俳句だろうと思っている。極楽の文学は地獄の文学に他ならない。ただそれにしては、虚子の句はやや甘いなと思う。


仰げば尊し

卒業に因んで。現代の卒業式で評判の悪い「仰げば尊し」は実はアメリカの歌だったことが最近判明した(一橋大学教授桜井雅人)。題名は「Song for the Close of School」――確かに卒業歌だ。今もアメリカの大学の卒業式で歌われているようだ。もちろん歌詞は日本のと大分違うが、フェルマータが特徴的で、「仰げば尊し」であることは間違いない。

日本では卒業式ではもはや歌われないが、むしろ台湾では歌われていると聞く。それが何とアメリカの歌とは!

常に問題となっているのは次の章節だ。

2.
互に睦し 日ごろの恩
別るる後にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば

立身出世とは何事かと言うことらしい。
第2節、第3節は英語ではこうなっている。

And friends we've known in childhood's days May live but in the past,
But in the realms of light and love May we all meet at last.

光と愛の神の国での再会を約しているのだから、キリスト教の影響の強い欧米と、儒教の影響の強い日本との国情をよく表している。どちらもどちらである。

しかし最近になってから、この歌こそ俳壇の現状をよくあらわしていることに気付いた。およそ、広い世間の中で恥ずかしげもなく「師」と呼べる人がいるのは俳壇ぐらいだ。だから結社に入ることを、師事という。師に事(つか)うるの意味だ(かつて俳句雑誌の編集長から、若手が略歴で、池田澄子に私淑と書いてきたのを見て激怒していた。私淑とは、直接師事しないで、ひそかに(私かに)尊敬し思いを寄せる(淑)ことを言うはずだ。しょっちゅう池田澄子にあってタメグチを聞いているのに私淑とは何か!というのである。)。俳句の師は、一文字でも師でもある。選句、添削、俳人協会への推薦、句集の斡旋、選と序跋書きをしてくれる先生は師でなくてなんであろう。師のない俳人は、俳人と云えないかもしれない。


1.
仰げば 尊し 我が師の恩
教の庭にも はや幾年
思えば いと疾し この年月
今こそ 別れめ いざさらば

2.互に睦し 日ごろの恩
別るる後にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば


2番が特にいい。「互に睦し」とは結社融和をいう、「日ごろの恩」とは結社内の先輩・後輩の恩である。「別るる後にも」とは、結社からの独立(主宰誌創刊)をいう。決してもめてはならない。「身を立て」とは、結社内で同人・編集長・同人会長・副主宰、さらに継承して主宰・名誉主宰となることを言う。「名をあげ」は結社賞・協会賞・角川俳句賞・読売文学賞・蛇笏賞・芸術院賞・ノーベル賞等の受賞、俳人協会・文芸家協会・芸術院会員への加入、紫綬褒章・文化功労者を受けることを言う。これらは決して悪いことではない。どんな立身出世をしても<やよ 励めよ>終身精進したいものだ。俳句の会では<分かれ目>にあたって、「仰げば尊し」2番を高らかに歌いたいものだ。